あらすじ
本編は原稿用紙に換算して七十枚ほどの短編である。実は「首巻き春貞」一連の時代小説は十六巻で完結と宣言したものの、おかしなことに心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになった。というわけで空虚な心の穴を埋めるためにオムニバス編ともいえる短編を書いてみたわけである。
「首巻き春貞」の年代背景は小石川養生所が開設された享保七年(一七二二年)十二月初旬からスタートし、主人公松平春貞は勿論、八代将軍吉宗と江戸南町奉行大岡越前守忠相が重要な役割を果たす時代小説である。であるなら本来、享保十三年から十四年にかけて起きたといういわゆる「天一坊事件」は書かずにいられない大きなテーマであるはずだが、その時代を描いた「首巻き春貞(五)誕生」執筆当時、筆者の力量では小説としてどのように描くかがはっきりできず、結局事件を意図的に無視した経緯があった。
そんなわけで今回短編のオムニバスを書くにあたり、この「天一坊事件」にスポットを当て、特に大岡忠相の裁く側の苦悩を描いてみようと思い立った。
とはいえこれは小説だからして歴史としての事実は事実としてもストーリーは無論フィクションである。いや、実はこの「天一坊事件」は「大岡政談」に収録され、大岡忠相の名裁きの一つとされていることでもあり、それこそ小説や芝居あるいは映画など様々な作品がある。しかし史実を言えば、このとき南町奉行大岡忠相は町奉行支配地外での事件のため、当該事件に実際には全く関与していないのだ。
実際には天一坊は勘定奉行、稲生下野守の裁きを受けて死罪となり、鈴ヶ森刑場で獄門になっている。
ISBN: 2300000173109