プラトン/水崎博明
「あらぬ」とは所詮はあらぬのであれば人はその「あらぬもの」を語ることはあり得ぬだろう。しかしただの見せ掛けを語る似非(えせ)知識人どもがいて彼らは「あらぬこと」を語っているのだとすれば、一体その「あらぬもの」とはどうあるのか。