あらすじ
筆という卵が生み出すのは、武者か美女か、それとも鬼か。東海一の文化人と、松平定信の交流が心を揺さぶる。──直木賞受賞第一作!
かつては寛政の改革を老中として推し進めた松平定信は、60を過ぎて地元・白河藩主の座からも引退した。いまは「風月翁」とも「楽翁」とも名乗って旅の途次にある。その定信が東海道は日坂宿の煙草屋で出会ったのが栗杖亭鬼卵。東海道の名士や文化人を伝える『東海道人物志』や尼子十勇士の物語『勇婦全傳繪本更科草子』を著した文化人だ。片や規律正しい社会をめざした定信に対し、鬼卵は大坂と江戸の橋渡し役となる自由人であり続けようとした。鬼卵が店先で始めた昔語りは、やがて定信の半生をも照らし出し、大きな決意を促すのだった……。
ISBN: 9784065338193ASIN: 4065338190
作品考察・見どころ
本書は、筆先から生み出される虚構の美と、峻烈な現実に立ち向かう人間の矜持を鮮烈に描き出した傑作です。松平定信という規律を重んじる権力者と、美の迷宮を彷徨う文化人の魂の交流は、単なる歴史劇の枠を超え、表現者が背負う宿命という根源的な問いを私たちに突きつけます。 永井紗耶子の端正な筆致は、江戸の空気感を匂い立つほどに見事に再現しつつ、現代にも通じる個の確立というテーマを浮き彫りにします。虚実が入り混じるなかで、己の命を何に捧げるのか。静謐ながらも底知れぬ熱情が迸る本作は、まさに「書くこと」への凄絶な覚悟が込められた、美しき闘争の記録といえるでしょう。