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山本ふじこの背景画像
山本ふじこのプロフィール写真

山本ふじこ

Acting

1931-12-11Itachibori, Nishi, Osaka, Osaka, Japan
出演・制作74作|映画 74|ドラマ 0
平均評価ⓘ5票以上の評価がある出演・制作作品の平均スコアです。キャリアの純粋な評価を保つため、本人出演やニュース・バラエティ番組等は集計から除外しています。★ 6.7
得意な分野
ドラマロマンス歴史

プロフィール

1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ[2]。母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府立泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業[2][1]。 1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催する第1回ミス日本(700人近い応募者があった)において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。この時の審査や授賞式の模様を伝えた白黒ニュースフィルムが現存する[3]。1951年にミス日本として公式訪米し、ニューヨークのヤンキー・スタジアムでマリリン・モンローとジョー・ディマジオに会った。ミス日本に選ばれた後、映画界からスカウトされるが、当初女優になる意思はなかった。しかしスカウトが途切れず、悩んだ末、姉の「これからの女性は仕事を持つことよ」という言葉に女優になる決心をする。 ミス日本になってから3年後の1953年、映画会社の争奪戦の末、大映に入社。契約内容は「1本あたりのギャラはスライド制で1年目が10万円、2年目が20万円、3年目が30万円と意外に安いかわりに、3年たったら自由契約」であったが、3年後の自由契約の約束は守られなかった。同年、映画「花の講道館」で長谷川一夫の相手役としてデビュー。戦後ミスコン出身女優第1号と言われている[1]。1954年に『金色夜叉』、1955年には『婦系図 湯島の白梅』のヒロイン、1956年の映画『夜の河』が大ヒットし、大映の看板女優として活躍した。 1963年1月、大映との契約更改を月末に控え、前年と同じ条件の「年に大映2本、他社2本出演」の契約を主張したが受け入れられず、1月末の契約切れを待ってフリーを主張。大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。永田は一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台からも締め出すよう工作する。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。彼女はテレビドラマに活路を求め、『山本富士子アワー』などに主演した後、演劇に新境地を開き、2013年現在まで演劇一筋で主演を続けている[1]。 なお、五社協定から49年が経過した2012年の今も映画界には復帰していない。ただ、テレビ番組『映像美の巨匠 市川崑』(1999年、NHK)の中で、1983年に市川崑から映画『細雪』への出演依頼があったが断っている。結局、岸惠子が演じることとなったが、公開になった映画を観て、出演しなかったことを後悔したと語っている。 1962年、ギタリスト・作曲家の山本丈晴(旧姓:古屋、古賀)と結婚(2011年9月7日に死別)[1]。1968年、長男を出産。現在は孫もいる。 2002年12月、日本経済新聞で「私の履歴書」を連載。 2011年11月21日、夫・丈晴のお別れの会が東京都千代田区紀尾井町にあるホテルニューオータニで開かれ、喪主を務めた。会には芸能界や政財界などから約1000人が出席した。

最新ニュース

常連の監督・共演者

※ FindKey独自分析: この人物の全出演・参加作品のクレジット(主要キャスト上位15名+監督・プロデューサー・脚本家等)をもとに、共演回数が多い人物を集計しています。1作品につき1人1回のみカウント(重複排除済み)。

永田雅一 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
10作品
永田雅一
主力クリエイター
黒い十人の女, 夜の河
市川雷蔵 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
7作品
市川雷蔵
共演キャスト
次郎長富士, 忠臣蔵
7作品
斎藤一郎
主力クリエイター
次郎長富士, 忠臣蔵
船越英二 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
7作品
船越英二
共演キャスト
次郎長富士, 黒い十人の女
長谷川一夫 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
6作品
長谷川一夫
共演キャスト
次郎長富士, 忠臣蔵
京マチ子 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
6作品
京マチ子
共演キャスト
次郎長富士, 忠臣蔵
衣笠貞之助 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
5作品
衣笠貞之助
監督として提携
鳴門秘帖, 大菩薩峠
本郷功次郎 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
5作品
本郷功次郎
共演キャスト
次郎長富士, 秦・始皇帝
若尾文子 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
5作品
若尾文子
共演キャスト
次郎長富士, 忠臣蔵
川崎敬三 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
4作品
川崎敬三
共演キャスト
夜の河, 忠臣蔵
4作品
千葉敏郎
共演キャスト
次郎長富士, 鳴門秘帖
根上淳 - 山本ふじこと縁のある共演者・監督
4作品
根上淳
共演キャスト
次郎長富士, 大菩薩峠

縁のある制作会社

※ FindKey独自分析: この人物の全出演・参加作品の制作会社情報を集計しています。データベースの登録状況により、制作会社ページの数値と異なる場合があります。

Daiei Filmのロゴ - 山本ふじこと縁のあるスタジオ
Daiei Film
15作品
フジテレビジョンのロゴ - 山本ふじこと縁のあるスタジオ
フジテレビジョン
2作品
松竹のロゴ - 山本ふじこと縁のあるスタジオ
松竹
1作品
東映のロゴ - 山本ふじこと縁のあるスタジオ
東映
1作品
ポニーキャニオンのロゴ - 山本ふじこと縁のあるスタジオ
ポニーキャニオン
1作品

代表作

彼岸花 (1958年)のポスター画像 - FindKey
★7.4

彼岸花

1958年映画
PiCNiC (1996年)のポスター画像 - FindKey
★6.8

PiCNiC

1996年映画
雪之丞変化 (1963年)のポスター画像 - FindKey
★6.6

雪之丞変化

1963年映画
鳴門秘帖 (1957年)のポスター画像 - FindKey
★7.0

鳴門秘帖

1957年映画
私は二歳 (1962年)のポスター画像 - FindKey
★6.9

私は二歳

1962年映画

出演・制作作品

PiCNiC (1996年)のポスター画像 - FindKey
★6.8

PiCNiC

1996年映画
ゴーストスープ (1992年)のポスター画像 - FindKey
★6.8

ゴーストスープ

1992年映画
憂愁平野 (1963年)のポスター画像 - FindKey
★7.0

憂愁平野

1963年映画
雪之丞変化 (1963年)のポスター画像 - FindKey
★6.6

雪之丞変化

1963年映画
私は二歳 (1962年)のポスター画像 - FindKey
★6.9

私は二歳

1962年映画
秦・始皇帝 (1962年)のポスター画像 - FindKey
★7.0

秦・始皇帝

1962年映画
宝石泥棒 (1962年)のポスター画像 - FindKey
★10.0

宝石泥棒

1962年映画
仲良し音頭・日本一だよ (1962年)のポスター画像 - FindKey

仲良し音頭・日本一だよ

1962年映画
如何なる星の下に (1962年)のポスター画像 - FindKey
★7.0

如何なる星の下に

1962年映画
夢でありたい (1962年)のポスター画像 - FindKey

夢でありたい

1962年映画