あらすじ
【ウィキペディアより「あらすじ」】
戦争が終わった昭和20年。没落貴族となったうえ、当主であった父を失ったかず子とその母は、生活が苦しくなったため、東京・西片町の家を売って伊豆で暮らすことにする。 一方、南国の戦地に赴いたまま行方不明になっていた弟の直治(戦地では麻薬中毒になっていた)が帰ってくるが、家の金を持ち出し、東京の上原二郎(小説家で既婚者)のもとで荒れはてた生活を送る。しかし、「夕顔日記」と書き記され、麻薬中毒やデカダンとその理由のみならず、世間の偽善を告発する母の、「札のついていない不良が、怖いんです。」という言葉に触発され、再度上原に宛てた手紙には、「世間でよいと言われ、尊敬されている人たちは、みな嘘つきで、偽物なのを」、「札つきの不良だけが、私の味方」であり、それを非難せんとする世間に「お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか」反論する意思を記す。
直治を介したかず子と上原との運命的出会いや交際、生活が苦しくかつ自身の健康がすぐれなくなってもかず子らを暖かく見守ってくれた、そして、戦後の新聞に出された陛下のお写真について「陛下もこんど解放された」ため老けた様子はなくとも「泣きたくても、もう、涙が出なくなったのよ」と語った「最後の貴族」たる母のもと日々は穏やかに流れていたが、やがて母が結核に斃れ、看護婦たちとたった二人の肉親に見守られ、ピエタのマリアに似た顔つきで亡くなり、無頼な生活や画家の本妻への許されぬ愛に苦悩していた直治も母の後を追うように自殺。残した遺書に、直治は自らの弱さと貴族階級出身に由縁する苦悩を告白するが、「人間は、みな、同じものだ。」と言う言葉に「なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドもなく、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。民主主義は、個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。」と抗議する。直治の死と前後して、かず子は上原の子を妊娠したこと、それを知ってか知らずか、上原が自分から離れていこうとしていることに気付く。
かず子は「(不倫の子を生んだ)シングルマザー」として、マルクス主義に傾倒するローザ・ルクセンブルクや、新約聖書中の「平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり」と説くイエスのさながらの革命精神をもって、動乱やまぬ戦後社会に腹の中の(やがて生まれてくるであろう)子と強く生きていく決意を上原宛の書簡にしたため、上原をM・C マイ、コメデアンとニックネームを付けた。立場は違えど庶民とは違う階級にあった四人の、四者四様の滅びの様が描かれ、滅びの中の美しさがえがかれている