山歩きの実用書という枠組みを超え、柏澄子氏の筆致は自然と向き合う人間の精神の鼓動を鮮やかに描き出しています。単なる技術解説ではなく、一歩を踏み出すたびに研ぎ澄まされていく感性や、山という巨大な他者を受け入れるための哲学が、静謐かつ力強い言葉で綴られている点が本作の文学的な白眉と言えるでしょう。
映像化作品では峻烈な自然の美しさが視覚的に補完されていますが、原作本が持つ真骨頂は、文字から立ち上がる五感の記憶にあります。映像が風景を映し出すのに対し、書籍は歩く者の内面を深く掘り下げており、両者を併せて享受することで、等身大の恐怖と歓喜が混ざり合う至高の山岳体験へと読者を誘います。