ChristieAgatha1890-1976中村妙子1923-ChristieAgatha
優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる...女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。
ミステリの女王が「死体」を出さずに描いた本作は、人間の自己欺瞞を暴き出す戦慄の心理ドラマです。旅先での孤立という極限状態が、良妻賢母を自負する主人公の完璧な家庭という幻想を剥ぎ取り、その下に隠れた無自覚なエゴを浮き彫りにします。静謐ながらも読者の心臓を冷たく突くような筆致は、まさに文学的技巧の極致です。 真の恐怖は、自らがついた「幸福」という嘘に直面することにあります。砂漠の静寂で反芻される記憶が、実は愛する家族を追い詰めていた残酷な支配であったと気づく過程は、どんな犯罪よりも重く響きます。読後、あなたは己の愛の正体を問い直さずにはいられないでしょう。これこそ人間の業を冷徹に見抜いた、著者の真骨頂です。