乃南アサが描く本作は、甘美な恋愛の皮を被った一級の心理サスペンスです。日常に忍び寄る小さな違和感が逃れようのない恐怖へと変貌する過程は、緻密な心理描写を得意とする著者ならではの真骨頂。電話という顔が見えないからこそ増幅される不安が読者の想像力を巧みに操り、気づけば主人公と共に、底知れぬ暗闇へと突き落とされるのです。
白眉は、何気ない日常の断片が不吉な予兆へと塗り替えられていく冷徹な筆致にあります。愛する者の正体を疑った瞬間に崩れ去る、世界の脆さ。読了後、鳴り響くベルの音はそれまでとは違う凶暴な響きであなたの心臓を刺すはずです。ページをめくれば最後、あなたもこの深淵なる狂気の共犯者となるでしょう。