戻る
島耕二
Shi Ma San
Directing
1901-02-16
Nagasaki, Nagasaki Prefecture, Japan
出演・制作
64
作
|
映画 64
|
ドラマ 0
平均評価
ⓘ
5票以上の評価がある出演・制作作品の平均スコアです。キャリアの純粋な評価を保つため、本人出演やニュース・バラエティ番組等は集計から除外しています。
★ 5.8
得意な分野
ドラマ
コメディ
ロマンス
プロフィール
キャリア統計に基づき、さらに深掘りした独自プロファイルを生成中...
1901年(明治34年)2月16日、長崎県長崎市に、医者の息子として生まれる。日本映画俳優学校を第一期生として卒業し、1925年(大正14年)、日活大将軍撮影所に入社する。現代的な二枚目俳優として内田吐夢、阿部豊、溝口健二などの作品に出演する。しかし、1934年(昭和9年)の労働争議で内田、村田実、伊藤大輔らとともに日活を脱退し、新映画社の創立に参加する。解散後、新興キネマを経て、日活多摩川撮影所に入り、『明治一代女』、『真実一路』などの作品に出演し、日活黄金期を支えるスター俳優としての地位を確立する。 1939年(昭和14年)、『雲雀』から監督に転向し、1940年(昭和15年)、『風の又三郎』を発表。1941年(昭和16年)に発表した『次郎物語』は詩情あふれる演出で監督としての代表作となった。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)召集される。 戦後は、大映、東横映画、新東宝、大映と移り、娯楽映画を中心に発表する。主題歌が大ヒットとなった『銀座カンカン娘』などの歌謡映画から『金色夜叉』、『滝の白糸』などのリメイク作品、『宇宙人東京に現わる』などの空想映画まで作風は多岐に及んだ。70年代以降は、主にPR映画の監督として活躍し、80歳を越えても年に1本のペースで1時間以上の劇映画を製作し続けた[2]。
プロフィール全文を表示
最新ニュース
代表作
★5.2
宇宙人東京に現わる
1956年
映画
★6.0
東京行進曲
1929年
映画
画像なし
★6.2
唐人お吉
1930年
映画
★5.7
汗
1929年
映画
★3.0
安珍と清姫
1960年
映画
出演・制作作品
すべて
映画
ドラマ
公開日順
評価順
人気順
胡姬花
1970年
映画
画像なし
海外情歌
1970年
映画
椰林春戀
1969年
映画
裸尸痕
1969年
映画
裸屍痕
1969年
映画
怪談おとし穴
1968年
映画
ラーメン大使
1967年
映画
処女受胎
1966年
映画
複雑な彼
1966年
映画
わが愛を星に祈りて
1966年
映画
さらに表示 (+54件)