イザベル・ユペールという怪優が体現する、聖性と背徳が同居した母親像こそが本作の核です。バタイユの原作が持つ「過剰さ」の哲学を、映像は残酷なまでの美しさで物質化しました。理性を踏み越える魂の渇望が、冷徹な演出と俳優たちの剥き出しの肉体を通じて、観る者の倫理を激しく揺さぶります。
原作の内省的な言葉の連なりは、映画化によって生々しい痛覚を伴う映像へと昇華されました。ルイ・ガレルの危うい存在感と鮮烈な色彩設計が、文字の抽象性を逃げ場のない官能的な地獄へと変貌させています。極限状態での愛の形が網膜に焼き付く、まさに映像でしか到達し得ない背徳の極致と言えるでしょう。