この作品の真髄は、善良な小市民が悪の装置へと変貌していく心理的葛藤の凄まじさにあります。主演のエルヴィン・ゲショネックが見せる、静かな日常が罪悪感と狂気に侵食されていく演技は圧巻で、観る者の倫理観を激しく揺さぶります。一介の肉屋が斧を手にした瞬間から逃れられなくなる運命の皮肉が、重厚な影の演出の中に鮮烈に描き出されています。
アーノルド・ツヴァイクの原作が持つ社会批判の広がりを、本作は映像特有の「沈黙と表情」によって極限まで研ぎ澄ませています。膨大な言葉を要する文学に対し、映画は視覚的な暗喩を用いることで、取り返しのつかない一歩を踏み出した者の孤独をより鋭利に突きつけます。個人の良心が時代の闇に呑み込まれる過程を、これほど冷徹かつ情熱的に描いた傑作は他にありません。